神田の地名の由来をさぐる


1.本日の頭だし

私は東京の日本橋で働いている。日本橋というのも調べてみたいことがいっぱいある(と思うが、まだポイントを絞りきれて居ない)が、隣の神田というのが気になった。よくみると「神」の「田」。むかしこのあたりは田んぼだったんだというありきたりの反応。そういえば「千代田区」ともいうなぁと横展開。千代田、神田、ともにいい名前である。

※ 横浜vs神奈川はしばし待たれ


2.調査

いつものようにぐぐってみると

(1)お江戸でござる おもしろ講座(3/11)

『「神田」という名の由来ですが、「神田」は伊勢の神宮へのお米を奉納する為の田圃でした。そこから「神の田圃」というわけで「神田」と言うようになったそうです。』


(2)京浜地名由来総覧

『神田は「御田代(みとしろ)」という地名に語源を発している』
.
たしかに(1)(2)は符合し、神田という今の名前もよくわかる。
神田は文字通り「神の田」だったんですね。


3.おまけ

(1)千代田のなぞ

ついでに「京浜地名由来総覧」さんによると、

『千代田というのは、この地に昔からあった地名で、肥沃な田地であったことからその雅名を取って名づけられた。大田道灌が江戸城を築いたときに城の名を考えるにあたり、「皇居外苑」で取り上げた3つの町名から一番字面のよいと「千代田」を選んだのが、別名「千代田城」の起こりである。』

とのことで、「千代田」も解明!



(2)大江戸神田事情


お江戸でござる おもしろ講座』さんから


○神田の住人

神田は大変腕の良い職人衆が集まっていまいした。江戸城を建て上げる時に家康が神田に腕の良い職人だけをあつめて町を造ってしまったのだそうです。幕府が開かれた際に、全国から集められた職人衆の移住区を神田に定めた。

神田に「縦大工町」、「横大工町」という町がありまして、大工がこのあたりにたくさん住んでいました。この一帯の職人衆は江戸城の御用達が多数住まっているので、エリート集団です。職人だったら、このあたりに住みたいと思っていたくらいだったそうです。


○地名トリビア

〜町(ちょう)と〜町(まち)とありますが、この分け方には厳密ではないのですが、
「小川町」、「麹町」など「まち」と読んだ場合は武家地が非常に多く、「須田町」「白壁町」と「ちょう」と読む場合は町人地が非常に多かったそうです。例外として「番町」は武家地で、神田に「つかさ町」という町がありまして、これは町人地でした。


おもしろいですねぇ